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De witte ヴィッテ/白い髪の腕白

ベルギー映画 (1980)

エーリク・クレアクス(Eric Clerckx)が主演する腕白少年の映画。原作は、Ernest Claesの小説 “De Witte”(1920)で、1934年に一度映画化されている(その時の主役Jef Bruyninckxの写真を下に示す)。ベルギー映画は、オランダ語圏とフランス語圏で全く雰囲気が異なるが、この映画では、その端緒ともなる3世紀以来の歴史的な民族紛争が、一種の腕白戦争として取り上げられている。視点はあくまでオランダ語を話すフランドルの住民の視点からなので、ヴィッテがボスとなって始める「金拍車の戦い(Guldensporenslag)」(1302年)の模擬戦でも、「フランドルの獅子たちよ! ワロンの奴らは堕落している。殺せ!」と叫ぶ〔ワロンは、ベルギーのフランス語圏の名称〕。かなり過激な言葉だ。実際、この戦いでは、フランドル連合軍9400人(9割以上が市民の歩兵)とフランス軍8000人(うち貴族からなる騎兵2500人、訓練された弩弓兵1000、長槍兵1000人)が戦い、戦力的には圧倒的に有利なフランス軍(騎兵>>歩兵)が、作戦ミスとフランドル軍の苛酷なまでの奮戦により大惨敗に終わる。「金拍車」の名前の由来は、殺された騎士の金拍車が戦場に散乱したことによるもの。それまで、騎士は捕虜になっても殺されることはなかったが、騎士道に無縁の市民軍が平気で騎士を殺して勝利したことに由来する。因みに、言語境界線は、未だにベルギーを南北に分断している。1425年に創設されたヨーロッパ有数の歴史あるルーヴァン大学が、境界線の北のフラマン語圏に入ってしまったため、教員・学生の反対を受けて、すぐ南のフランス語圏に新ルーヴァン(Louvain-la-Neuve)という大学町を1972-79年にかけてゼロから作り上げ、そこに全員が移動した話は有名だ。話が逸れたが、映画の舞台となるのは、1900年のジーヘン(Sichem)という貧しい農村。1900年といえば明治末期だ。日本が開国した時に、オランダからもお雇い外国人の技術者を大臣以上の給与で迎え入れているが、そうした技術先進国というイメージと、映画で描かれる貧困にあえぐ農村とではあまりにイメージが違い過ぎる。しかし、オランダ語圏の映画では、20世紀前半の農村の悲惨さがよく映画の題材になっているそうなので、現地では知られた歴史なのであろう。このジーヘンという町は実在しないが、映画の中で登場するアーヴェルボード(Averbode)修道院のあるディースト(Diest)の町と、上に書いた戦争ゴッコの舞台となるジへン(Zichem)の乙女の塔(Maagdentoren)は近距離にあり、また、そう遠くないハッスルト(Hasselt)に直行する鉄道もあるので、ジーヘンとジへンと発音が近いことを考慮し、実際の舞台はジへンの辺りと考えるのが妥当であろう。
  

白っぽい金髪から、村人全員にヴィッテ(白)というあだ名で呼ばれる12歳の少年。家は典型的な小作農で、家族全員で地主クーヌの農園で働いている。ヴィッテも小学校の最後の年になったので、農園に働きに生かされる。しかし、彼は、さぼり屋で学業はダメ、もっぱら遊ぶことと悪戯が専門で、時には、家のお金をちょろまかして、好きなものを買ったりもする。そうかといって不良というわけではなく、単に悪ガキという感じ。そして、このヴィッテ、父には始終 頭を叩かれる。学校の先生にも叩かれる。映画の中で10回以上は叩かれる。まあ、悪さばかりするのだから仕方がない。映画では、その「悪さ」が幾つか紹介される。圧巻は、農作業をサボっての同級生と一緒に川で騒ぐ水遊びと、初めて訪れた修道院のムードに感激し、そこで借りた本を読んに触発されて起こす「金拍車の戦い」の再現。水遊びの場面では、多くの子供が川で全裸で泳ぐシーンが長く続きますが、100年以上前の貧しい農村の風物詩だと思えば良いかと思います。その後、ヴィッテは最後の刈入れをサボって強く叱られ、村の祭りの「お駄賃」を兄と母から二重取りしてさらに強く叱られ、農園で働くか、工場で働くか、少年院に行くかの三択を迫られる。溺死自殺を試みるが、息苦しくなって諦め、最後は印刷工場で働く。結末はあっけないが、そこに当時の社会の苛酷さが感じられる。

エーリク・クレアクスが演じるヴィッテ(Witte)ことルヴィ(Lewie)は、12歳と9ヶ月という設定だが、エーリクは撮影時15歳くらいだったと思われるので、不自然さは否めない。DVDの特典映像には中年になってからのエーリクも登場するが、濃い目の茶髪なので、白っぽい髪は染めたのかも? もし、そうなら、設定年齢相応の子役を使った方が良かったのではないか? 小学校の在学中に農作業でこき使われたり、卒業後にすぐ工場で働かされる悲惨さは、12歳ならピンとくるが、中学を卒業するような年齢では働いて当然のような気もしてしまうからだ。それに、演技がそれほど上手だとも思わないし…


あらすじ

1軒の農家。母が何度も「ヴィッテ」と呼ぶ声が聞こえる。「ほら、起きて、学校に行く時間だよ」。どこにでもありがちな朝だ。8時というのに目覚めが悪い。やっと起きると、家の外に置かれた洗面器から何度も顔に水をかけて(1枚目の写真)、ごしごしこする。長兄のニスが、水が汚れると思い、「そんなにこするな。顔がもげちまうぞ」と注意する。「放っといてくれよ、バカ兄貴」。父:「口が悪いぞ」。「放っといてくれないからだ。何もしてないのに」。「黙らんと、足に一発お見舞いするぞ」。食卓に着いてスープを飲み始めると、次兄のハインがヴィッテの後ろを乱暴に通ったので、危うくこぼしそうになる〔部屋が狭いので、イスの背と壁の間が10センチくらいしかない〕。「気を付けて通れよ、どアホ」。父は、ヴィッテの頭を叩きながら「黙らんか!」と叱る(2枚目の写真)。「わざとやりやがったんだ!」。「何だ、その口の聞き方!」。その後で、父は、「お前も、そろそろ仕事を覚えるべきだ。学校が終ったら真っ直ぐ帰って来い。クーヌ農園に行け」と命じる。思わず、スープを置くヴィッテ。「僕が?」。それを見たハインが、「もう震えてるのか」と冷やかす。父:「俺の言ったことが聞こえたのか?」。「不公平だ。いつも働かされる。奴隷みたいに、汗をびっしょりになってさ」。
  
  

学校では、入口で並ばされてから、教室に入る。列で少しもめていると、教師が寄って来て、「また悪さをしてるな? 同じようにしてやろうか?」と言って(1枚目の写真)、ヴィッテの頭を叩く。教室では歴史の授業。後で、ヴィッテが熱中する「金拍車の戦い」の話だ。この時は授業なので、全然興味がない。教師は、説明するのではなく、生徒に各自の教科書を読ませる。しかし、読まずに遊んでいる生徒がいたので、石板に九九を書かせることに変更。授業中、隣り合った2人がコソコソ話している。「ビー玉いくつ持ってる?」。「40」。「ベルトと交換しないか?」。「いいよ」。それを後ろの席で聞いていたヴィッテ(2枚目の写真)。2人が交換しようと腕を伸ばした時、ビー玉を握っていた手をヴィッテが足で蹴飛ばす。辺り一面に飛び散るビー玉。当然、教師が調べにやって来る。「誰がやった?」。やられた生徒は、当然、「ヴィッテです」と答える。ヴィッテ:「ガマンできなくて…」。教師は、「お前は、いつもそうだ!」と言い、ヴィッテの頭を5-6発殴り(3枚目の写真)、教室から連れ出して廃品置き場に放り込む。そして、授業が終わってからは、1人居残りさせて書き取りだ。
  
  
  

ヴィッテは、学校から帰る途中、腹いせに3つ悪さをしてから帰宅する。父は、「真っ直ぐ家に帰らなかったな」と言って頭を1発叩き、犬車〔馬車のように、犬が引っ張る小さな二輪車〕に、じゃがいもの袋を2個載せ、クーヌ農園まで運んで行くよう命じる。農園に着くと、クーヌが「おい、うんと寄り道してきたのか?」と訊く。ヴィッテはすかさず、「先生に、手伝いを命じられて」と嘘をつく。「あなたのことを、話しやすい方だと」。クーヌ:「ここでは、話すことなど何もない。働くだけだ。その袋を壁際まで運べ。終わったら、中へ来い」。実に嫌な感じの男だ。中に入って行き、ドアの前でお呼びを待つヴィッテ(1枚目の写真)。「袋は、指示した場所に置いたか?」。「2つとも、きちんと並べました」。「いいか、フランソワ」。「フランソワじゃありません。僕は、ルヴィです」。この男、農夫の名前など一々覚えていられるか、という態度なのだ。「フランソワでもルヴィでも、構わん。わしは、お前の父親と話した。悪い子だそうだな。だが、仕事は山ほどある。父親の話では、目さえ光らせていれば、お前はよく働くんだそうだ」。そして、「明日、働きに来い」と言う。「今、何て?」。「ツンボだとは聞いとらんぞ。お前、ずい分、痩せっぽちだな。だが、父親に免じて、試してやろう。これから、毎週 火曜に来い。土曜の午後もだ。それと、休日は全部」。高圧的、かつ、専制的だ。「明日は、ミサが終ったらすぐ来い。兄のトゥンも一緒だ」。「トゥンじゃなく、ハインです」(2枚目の写真)。また、名前を間違えたが、この男、兄のことを映画の最後まで、ハインとは呼ばない。
  
  

クーヌ農園から帰宅したヴィッテ。母に、「どうだった?」と訊かれ、「最悪」。「頑張りなさい。努力したら5セントあげる」。1900年頃の1フランは現在の1000円くらいとされているので、5セントは50円。如何に貧しいかが分かる。「死ぬほど働くんだろ?」。母は、それまで剥いていたじゃがいもをヴィッテに渡し、残りを剥いて火にかけろと命じる。夕食のメイン・ディッシュが、茹でたじゃがいもなのだ。少し剥いて、「腐ってる」と言い、原形の半分以下にしてしまうヴィッテ〔じゃがいもは健全に見えるが…〕。そして、それ以上剥くのが面倒なので、もう十分だろうと鉄鍋の中を見るヴィッテ(1枚目の写真)。そして、鉄鍋を薪ストーブに載せ、壁に架けてある塩入れから かなりの量の塩を入れる。台所に戻って来た母が、「塩は入れたの?」と訊く。「塩? ぜんぜん 忘れてた」。「訊いて良かったわ」と言い、塩を入れる母。母が出て行き、兄のハインが入って来る。「腹が減った。じゃがいもは、まだ出来てないのか?」。「今、煮てるとこ」。「お前がやったのか? 塩は入れたか?」。「塩? ぜんぜん 忘れてた」。塩を入れる兄(2枚目の写真)。これで3倍は塩辛くなった。ヴィッテの悪戯だ。兄は、もう1つの鍋の蓋を開け、「また、粥かゆ か」とがっかり。この一家の夕食は、粥かゆと茹でたじゃがいもだけということになる。夕食の時間になり、一家5人が揃って、まず粥かゆを食べる。じゃがいもの出番になると、ヴィッテは、「いらない。お腹減ってない。一日中、お腹が痛かった。きっと働き過ぎだ」と言い、腹痛がひどいフリをしてドアから外に出る(3枚目の写真)。ヴィッテが逃げ出してから、一口食べた父が、「どこに行きやがった。捕まえたら、どうしてくれよう!」と怒鳴る声が聞こえてくる。
  
  
  

翌日の火曜のミサ。村人が全員教会に集まってくる。ヴェッテは隣に座っている母が目を閉じているのを確認し(1枚目の写真)、しゃがみ込んで(2枚目の写真)、前の席に座っているアベック(?)の服を椅子に縛り付ける〔何をしたのか、はっきりとは見えない〕。神父の説話が終わり、全員が立ち上がったところで、異常に気付く2人。ヴィッテは知らぬ存ぜぬの構えだ(3枚目の写真)。母の強い視線は、ヴィッテの悪戯を呆れて見ている感じ。
  
  
  

ミサの後、多くの農民が、総出で麦を刈り取っている。カマだけでなく、刈集め大ガマ(Cradle Scythe)も使われている。しかし、その中にヴィッテの姿はない。ヴィッテは、刈り入れた麦を運ぶ馬車にちゃっかり乗って登場。馬車が着くと、農園主クーヌの娘が飲み物とサンドイッチを持って現れ、休憩の時間となる。ヴィッテが水を飲んでいると、クラスの子供たちが「泳ぎにいかないか」と声をかけて、遠くを通り過ぎて行く(1枚目の写真)。ヴィッテが、働いてもいないのにサンドイッチを食べ始めると、同じように、何もしていなかった中年男がやってきてサンドイッチを手に取る。視察に来たクーヌが男の姿を見て、「何してる、勝手に入り込んで」と咎める。男は、「ただ、近くを通ったんで、ティストの様子を見に」と嘘をつく。クーヌは男を追い払う。男が「くたばれ」と吐き捨てて去りかけると、「今、何て言った?」と咎める。「失せろ、この盗っとめ。お前なんかは、ルーヴァンの監獄に一生入ってりゃいいんだ」。そして、休んでいる農民達には、「いつまで食べてるんだ。さっさと働かんか」と罵るように言う(2枚目の写真)。タダ食い男も腐った人間だが、この農園主は本当に嫌な人間だ。それにカチンときたヴィッテは、馬と荷車をつなぐ連結器をこっそり外す(3枚目の写真)。そして、馬の尻を叩いて馬を逃がしてしまう。当然、大騒ぎになる。
  
  
  

農園にいて見つかるとヤバいので、ヴィッテは、さっき声をかけられた子供達に合流し、川で泳ぐことにする。服は、草の上に脱ぎ捨て、大胆に岸から飛び込む(1枚目の写真)。そして、既に川の中で遊んでいる子供達に混じって、水を掛け合ったり、お互いを水に沈め合ったりする(2枚目の写真)。しかし、中に1人肥満児がいて、浮き輪に頭を置き、仰向けになって浮いていたところ、だんだん足が沈んで行き、急にバランスが崩れて溺れそうになる。「助けて」という声に気付いた子供達は、全員で岸まで引っ張って行き、重い体を必死に押し上げようと力を出し合う(3枚目の写真)
  
  
  

ところが、やっとデブを岸に上げたと思ったら、母がこっちにやってくる! ヴィッテは慌てて隠れようとし(1枚目の写真)、結局、水の中に戻って、頭だけ出してこっそり母を窺うことにする。母は、子供達が固まってデブの様子を見ている所にやってくると、「ヴィッテを見なかった?」と訊く。子供の1人が、ヴィッテをかばって、「ううん、見てないよ」と答える(2枚目の写真)。しかし、母は、岸辺に隠れているヴィッテに気付き、「じゃあ、そこにいるのは誰?」と問い詰める。「そんなの、おばさんに関係ないだろ」。母は、「家に帰ったら、目に物見せてやる」と言い、草の上に脱ぎ捨ててあったヴィッテの服を全部持って家に帰ってしまう(3枚目の写真)。服を持ち上げる時、ポケットに入っていた なけなしのコイン3枚も落ちてしまった。
  
  
  

岸辺から顔を出して、「服を持ってかれちゃった」と言うヴィッテ。「心配するなよ。暗くなるまで待ってりゃいいだろ」「回り道すれば、誰にも会わずに済むかもな」。子供達も、自分のことではないので、無責任だ。ヴィッテは、「クロル、家に帰ったら、何か着る物 持って来てくれよ」と頼む(1枚目の写真)。しかし、「母さんがいるから、外出させてくれない」と断られる。別な子は、「ズボンは1着しか持ってない」とか、「そんな格好でも、恥ずかしがることないじゃないか」とか言うだけ。1人ずついなくなって、結局、1人だけ素っ裸で残されることに。思わず、岸辺に座ってすすり泣くヴィッテ(2枚目の写真)。いつまでもそうしてはいられないので、遂に意を決して帰途に着く。途中で大人3人にその姿を見られ(3枚目の写真)、「おい、ヴィッテ、その服 幾らした?」「チャックがあいてるぞ」「暑すぎるんさ」と冷やかされる。そのままうつむいて、またすすり泣く。誰もいなくなったのを見澄ましたヴィッテは、トボトボと家に向かって歩く(4枚目の写真)。
  
  
  
  

ようやく家に辿り着いたヴィッテ。いきなり家には入りにくいので、何か羽織るものを探そうと納屋に入って行く(1枚目の写真)。ドア1つでつながっている母屋からは、「もっとスープ飲んでいいか?」。「ヴィッテに残しておいてやって」。「お前はヴィッテを甘やかしすぎだ」と会話が聞こえてくる。運よく着ていた服が置いてあるのを見つけて、まずパンツをはく(2枚目の写真)。母の「納屋に誰かいる」の言葉に父が飛び込んで来て、ヴィッテを罵り頭を叩く(3枚目の写真)。
  
  
  

パンツ1つで、食堂の壁に投げつけられたヴィッテ。痛さに泣く(1枚目の写真)。「ぎゃあぎゃあ騒ぐな」。母:「服を着て、お座り」。「お腹空いてない」。「母さんの言う通りにしろ!」。この父親、怒鳴ることしかしない。シャツを着ていると、「のろのろやっとらんと、食え!」。「食べたくない」。「とっとと食え!」。食べようとして、水泳の前に着ていた服のポケットを探りコインがないことに気付く。「僕のお金。なくなっちゃった!」。「早く、食わんか!」。「5セント以上あった」。悲しそうに食べようとするヴィッテ(2枚目の写真)。「冷めてるじゃないか」。父は、「駄々をこねるな!」と言い、スープをヴィッテの頭からかける(3枚目の写真)。「熱い!」と叫ぶヴィッテに〔さっきの、「冷めてる」は文句を言っただけか?〕、兄が、「川に入ってたんだろ」と冷やかす。「溺れ死んでやる。そしたら、せいせいするだろ!」。「また裸になるのか?」。「死んだら、ショックだろ!」。
  
  
  

翌日の、学校の授業。教師は、「もうすぐ卒業だが、お前らは何も学んどらん」と全員に言った後、黒板で簡単な分数の掛け算(3/4 ×2)が解けずにいるヴェッテを、「お前は、通りを裸で歩いてる方が似合ってるんじゃないか」と冷やかす。昨日会った3人組が、町中に触れ回ったのだ。「午後、個人指導してやる。ちょっとは授業が身に着くだろう」。「父さんと厄介なことになりますよ。僕、仕事があるから」。結局、ヴィッテは、午後、クーヌの家に直行。最初の仕事は、贈り物の運び屋。「覚えたか? 修道院の神父様に渡して、『これをどうぞ、クーヌからの献呈です』と言うんだぞ。分かったのか?」。「多分」。「大丈夫さ、ただし、ズボンを失くすなよ」。それを聞いて、一緒にいたクーヌの娘がニヤッとする。それを見たヴィッテは、仕返しに、「リザ、ハインがよろしくって」と言ってしまう(1枚目の写真)。実は、2人はお互いに好き合っているのだが、身分違いなので、父親に知られると不味いのだ。ヴィッテは、遠く離れたアーヴェルボード修道院に着くと、回廊で神父に会う。「クーヌに頼まれたのか?」と訊かれ、「はい、神父様」と答える。「その荷物を、暑い盛りに一人で運んできたのかね?」。「僕、丈夫ですから」。「喉が渇いているだろう。水かビールでも飲んでいくかね?」と優しく声をかけられる。食堂でビールとサンドイッチを食べていると、そこにさっきの神父が入ってくる。「君は、きっとヴェッテなんだろう?」。「そうです、神父様。僕の髪からきたあだ名で、本当の名前はルヴィです」。「学校の方は、どうなんだね?」。「よくも悪くもありません。先生が、僕の気乗りのしない時にばかり教えるものですから。でも、あと2、3週でそれも終わりです」(2枚目の写真)。「その後は?」。「他のみんなみたいに農民として働きます」。「家で?」。「いいえ、文句言いのクーヌさんの農園でです」。アーヴェルボード(Averbode)修道院は、1134年に創設されたベルギー屈指の大修道院で、中は荘厳さに満ちている。その雰囲気に圧倒されて帰宅したヴェッテは、夜、同室の兄のニスに「信じられないよ。どこもかしこも、きれいで真っ白なんだ、天国みたいに」と話す。「天国、見たことあるのか?」。「修道士たちが天使みたいに歌ってた。花でいっぱいの庭もある。ビールもうまかった。教会くらいの大きな部屋が本でいっぱいなんだ。何百万冊もある。1冊もらったんだ」。「分かったから、もう寝ろ。明日は朝が早いんだ」。「500年前の本もある。自分のところで、本も作ってるし。それに、とっても優しかった。僕、修道院で暮らせないかな?」。「お前 バカか?」。「でも、僕のこと、助けてくれるんじゃないかな?」(3枚目の写真)。「じゃあ、修道士になるんだな」。「どうすればいいの? まず、侍者になるのかな?」。「お前には無理だ。いいから寝ろ」。
  
  
  

修道院でもらった本は、恐らく『De leeuw van Vlaanderen(フランドルの獅子)』(1838)。最初は、フランドル伯ローベルヒト(ロベール)3世の娘マフトス(マチルダ)について書かれ、それから、1302年5月18日の「ブリュッヘの朝課」におけるヤン・ブレイドル(Jan Breydel)のフランスの駐屯部隊の襲撃〔2000人を虐殺〕、次いで、1302年7月11日の「金拍車の戦い」について詳細に触れているからだ。ヴィッテにしては珍しく、あらゆる機会を使って本を読みふける(1・2枚目の写真)。そして、どこかの納屋にクラスの子供達を集めると、本を読んで聞かせ(3枚目の写真)、「フランドルの獅子たちよ! ワロンの奴らは堕落している。殺せ!」と煽る。そして、さらに読む、「フランドルの兵士達は 退却する敵に向かって殺到し、落馬した騎士達にこん棒と斧で襲いかかった。何千頭の馬が泥の中に横たわり、敵の死体が地面を埋め尽くした」。
  
  
  

「そこにいてみたかった」と思った子供達は、模擬戦争を始める。もちろん、ヴィッテはフランドル軍の将軍だ。そして、部下をまとめてフランス軍に向かわせる(1枚目の写真)〔写真の一番右にいるのがヴィッテ〕。撮影の現場は、前に言及したジへンの乙女の塔。1383-1430年かけて造られた高さ26メートルの塔だ(2枚目の写真)。しかし、ここで1つ腑に落ちないことがある。いったい誰が、軽蔑すべき「敵」の役になったのだろう? その点の説明は全くない。ただ、最後に「敵」の首領と戦い、相手が「僕、フランドルだぞ、ヴェッテ」と言うと、「じゃあ、『Schild en Vriend(盾と友達)』と言ってみろ」と命じる。これは、「ブリュッヘの朝課」の夜間襲撃の際、敵か見方かを見分けるために実際使われた合言葉で、フランス人にはうまく発音できないことに由来している。相手の子は、フランス人ではないのでちゃんと発音したにもかかわらず、ヴェッテに刺し殺される(3枚目の写真)。この戦争ごっこでケガをした少年が家に泣いて帰ったことで、村の神父が調べに来る。ヴェッテは塔の中で戦っていたが、「ルヴィ、一体これは何だ?」と神父に問われ、何を思ったか、「このフランス野郎」と言って飛び掛っていく。「フランドル人は、フランス人の前には跪かないぞ」と言って。それに対し、神父ものりのりで、「わしの剣さばきを見せてやろう」と言って、持っていた雨傘でヴィッテと剣戟を始める(4枚目の写真)。
  
  
  
  

この奇妙な縁のお陰で、次のミサでは、ヴィッテが侍者を任せられた。「縁」があることは、神父が、「ヤン・ブレイドル、お母さんが、ミサが終ったらクーヌ農園へ行けと言われたぞ」と、ヴィッテを「ブリュッヘの朝課」の首謀者の名前で呼んだことから明らかだ。「クーヌなんて。修道士の方がずっといいのに…」。「そうか、フランドル伯? その前に、まずちゃんとミサを手伝うことだな」。神父が、ミサに集まった村人を前に、ヴィッテに「灌水棒を」と言う。ヴィッテは、目の前にクーヌがいるのを見て、灌水棒にたっぷり水を絡める。そのため、神父が最初に水を振り掛けたクーヌは、大量の水でびしょぬれになってしまう(1・2枚目の写真)。神父に文句は言えないので、ヴィッテを睨む。その後、教会では、別の神父が説話を行う(3枚目の写真)。内容は、宗教的なことではなく、数日前、この神父がハッスルトに向かう汽車に乗っていた時、向かいに座っていた労働者が読んでいた新聞についてが話だった。神父は「新聞の名前は知っています。しかし、その穢れた紙くずの名前は口にできません。神を信じぬ異端者どもの読むものだからです」。そして、最近活動している社会主義者の話に耳を傾けることは、愚行で堕落であると断じる。教会がミサでこのようなことを扇動するとは異様だ。
  
  
  

ミサの後、ヴィッテはクーヌ農園に行かずに、家から盗み出したお金で小冊子を買い〔内容は不明〕、読みふける。その間、クーヌ農園では一家総出で大量のワラを納屋まで運び、窓から中に入れている(1枚目の写真)。クーヌが、イライラして、ハインに「トゥン」と呼びかける。該当者は誰もいないので返事はない。「トゥン、お前んとこのヴィッテはどこにいる?」。「俺の名前はハインです」。家に帰ると、父はヴィッテを、「このロクでなし! チビ泥棒!」と怒鳴って何度も叩き(2枚目の写真)、盗んだ金で買った小冊子を破り捨てる。そして、両手を上げたまま祈らせる(3枚目の写真)。「この子の行動は、最近 変よ」と母。「まず、侍者になりたいと言い出し、それから、無茶な戦争ごっこ」。兄:「悪魔に憑かれたんじゃないかな?」。「そう思うかい? この子、お祓いに連れて行った方がいいかしら? 聖コーネリアス教会に」。兄:「あそこは、寝小便しか効かないよ」。「一緒に行ってやってくれる?」。夫には、「朝早く 汽車で発たせたらどうかしら?」。「分からんな」。しかし、結局は、兄と2人で出かけることになる。そんなことのため、汽車賃もばかにならないと思うのだが…
  
  
  

機関車のシーンはほんの僅か。着いた駅も一瞬しか映らないので、どこに行ったのかは分からない。駅で、兄は男を呼び止め(1枚目の写真)、「済みません、聖コーネリアス教会はどっちですか?」と尋ねる。男は、「寝小便の祈祷に行くのかね?」と訊く。ヴィッテが、「違うよ。あんただって寝小便しないだろ」と口を挟む。「生意気なガキだな。出口まで真っ直ぐ行ったら、右に曲がる。間違いようがない」。しかし、2人が歩いていると、赤い旗を持った男たちが集まってきて(2枚目の写真)、そこに警官隊も駆けつける。巻き込まれないようにするハインに向かい、「ねえ、見てようよ。すぐに戦い始めんじゃないかな」と無責任に頼む。そんな要望は無視して歩き続ける兄。「どうして見物しなかったの?」。「黙ってろ」。「なぜ、黙るんだい?」。返事なし。「あれが、社会主義者?」。「黙ってろ、バカ野郎。あいつらは、いつも面倒を起こすんだ」。「どうして?」。「決して満足しないからだ」。途中で、樽を転がしてきた商人とぶつかりそうになり、「百姓め、どこ見て歩いてる!」と罵られる。結構ちゃんとした服装だと思うのだが、田舎から出てきた百姓だとすぐ分かるのだろうか? ようやく目的地に着いた2人。かなり小さな教会だ。汽車から降りて、わざわざこんな小さな教会に行こうとしたので、すぐに寝小便と結び付けられたのであろう。「何かお困りですか?」と寄ってきた神父に、兄は「ええ。説明しにくいのですが…」。「寝小便ですね?」。「いいえ」。「では、何ですか? ひきつけ? おたふく風邪? はしか? 不品行? 盗み聞き?」。「この子の抑制が効かなくなりました。神経過敏なのではないかと」(3枚目の写真)。「やるだけ、やってみましょう」。
  
  
  

故郷の村に戻ってくると、「ジーヘン・カーニバル」と書かれた横断幕が掲げてある。翌朝、ヴィッテは、起きてくると、一人で朝食を食べていたハインに「母さんは?」と訊く。「とっくにカーニバルに出かけたぞ」。「どうして、起こしてくれなかったのかな?」。「さあな」。「僕のお金どこ?」。「何の金だ?」。「母さんが、15セントくれると約束した」。兄は、カーニバルで遊ぶのには必要だろうと思い、「後で返せよ」と言ってお金をくれる(1枚目の写真)。さっそくカーニバルに出かけるヴィッテ。回転ブランコが設置され、ブラスバンドも出て、結構華やかだ(2枚目の写真)。友達に会うと、「ほら、見ろ、1フランだ。ウチでくれたんだ。小銭にしてくれるか?」と見せびらかす。「小銭になんかできないよ」。「一銭も持ってないんだろ?」。人ごみの中で母を探し当てたヴィッテが、「母さん」と声をかける。「どうしたの?」。「お金 忘れてるよ」。「可哀想に。お金もなしで、歩いてたのかい?」。「ずっとさ。ちっとも楽しくない」。さっそく お金を渡してやる母。
  
  
  

ヴィッテがたっぷり楽しんで帰宅すると、入口にいた父が、「楽しんできたか?」と訊く。「うん。どうかしたの?」。「こんなに長くいられるだけのお金 あったのか?」。「ぴったり」。すると、急に父が殴りかかる。待ち構えていたのだ。そして、「金を返せ」と怒鳴る。母は、「なぜ、嘘ついたの?」と訊く。「兄貴から 金をだまし取っておいて、まだ もらってないだと?」「我慢の限界だ」(1枚目の写真)。「部屋に行って、じっとしてろ」。ヴェッテも反論する。「いつも、同じじゃないか。悪いのは いつも僕。食べる以上に殴られる。うんざりだ。自殺してやる」。それを聞いてますます激高する父。自分の部屋に行き、ベッドに横になって泣くヴィッテ(2枚目の写真)。一方、別の部屋では両親が話し合っている。「ずっと我慢してきた。奴は 働きに出すぞ」。「まだ子供じゃないの」。「もう13だ」。「まだ3ヶ月先よ」。「俺は、たった10で戦場に送られた。もし、奴がクーヌのとこで働けないんなら、町の工場に行かせる」。「社会主義者と一緒に? もう少し待てない?」。「だめだ。もう決めたんだ。それが嫌なら少年院に放り込む」。
  
  
  

その頃、ヴィッテは、自殺しようと、部屋の窓から外に忍び出ていた(1枚目の写真)。そして、真っ暗な中を歩き、服を着たまま沼の中に入って行く。何度も溺死しようとするが、苦しくて我慢できない。そこで、必死になって岸から這い上がる(2枚目の写真)。ヴィッテは、ずぶ濡れになったまま、かつて訪れた修道院のことを、夢のように思い出す。二度と辿り着けない「遥かな理想の場所」として(3枚目の写真)。
  
  
  

そのまま画面は変わり、卒業後のヴィッテが、町の印刷工場で働いている(1枚目の写真)。現実は厳しいのだ。これから彼は、一生、工場労働者として人生を送ることになる。倉庫でこぼれた本を拾わされていると、それは、この映画の原作本 “De Witte” だった(2枚目の写真)。もちろん、ヴィッテには、そのことを知る由もないが、題名が自分のあだ名と同じであることは分かる。「よくも、ずうずうしく。今に仕返ししてやるからな」。この言葉が何を意味するかは分からないが、ヴィッテが、本を次々とダンボールに放り込む(3枚目の写真)ところで、映画は終る。
  
  
  

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